板書はお手本を示すため
子供に背中を見せない
授業開始直後、かなりの時間をかけて「めあて」を書いている場面を見かけた。
子供たちの方に背を向け、教科書に書いてあることを一心不乱に書いている。
教科書を開かせ、読めばいいことを、何のためにやっているのか?何の意味もなさない。
これでは、背後で子供たちがどんな動きをしているのか、わかるはずがない。
書き終えた後、子供の方に向き直り、今度は全員で「めあて」を唱和させている。
ここまでにかなりの時間を費やしている。
やんちゃくんは近くの子にちょっかいを出して遊んでいる。
授業開始の数分間で授業開始直後の緊張感は大きく低下。
教師は、机の上に何も出さず、ぼーっとしている学力低位の子がいることに気付いていない。
初任者は、うるさくなっていく子供たちを前におろおろするだけ。学級崩壊寸前だ。
見かねて初任研担当教諭が師範授業をする間、打って変わって教室は静かになる。
だが初任者と交代した途端、瞬く間にうるさくなる。数日で担任はノイローゼ状態に陥る。
原因はどこにあるのか?「板書」なのだ。
ところが初任者も、初任研担当者も気がつかない。
気がつかない初任研担当者は、授業をしなくなって十年以上たっている元校長だったりする。
だめだこりゃ。
黒板は「お手本」を示す場所
めあてを書いても時間の無駄。教科書に書いてあることはみんなで読めばいい。
それでも書かせたいなら、書写の時間じゃないのだから、きれいに写すのは時間の無駄。
「早く書きなさい。読めればいい。」
「鉛筆の先からけむりが出るくらいの速さで」
これらは授業の名人が実際に子供たちに出した指示言なのだが、必要に応じて使い分けることも大事だ。
一番いいのは板書をしない。
どうしても書かなければいけないことがあるのなら、子供に書かせる。
子供たちは喜んで書く。
書かせれば書かせるほど上手になっていく。
最初のうちはうまく書けないが、「こういうふうに書いて」と例を示してやれば、その通り書く。
何ごとも最初は数多く体験させる。数多く書くチャンスを与える。
教師は子供たちの方に正対して授業をしているから、悪さやいたずらはしづらい。
きちんとしている時間が長くなればなるほど、姿勢を保持する力も育ってくる。
とにかく隙を作らないこと。
初任者は知っておくべきだし、初任者担当ならば必ず伝えるべき技術だ。
管理職の指導をどう受け止めるか
管理職から「めあてとまとめを必ず書きなさい」と指導を受ける場合がある。
動画の中でその問いに伴氏は答えている。
これも技術。やるやらないは別。知っていて損はない。
「柳に風のごとく受け流す」ことも大事な技術だ。
ちなみに管理職であろうと、指導はできても強制はできない。
指導方法については、学級の実態に合わせて工夫が求められている。
前回の学習指導要領が改定された際、単元を貫く言語活動について
「特定の指導法の強制ではないか?」
と問い合わせが殺到し、文科省も異例の通達を出した。
「指導方法については強制できない」ことの証左でもある。
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