教科書の文章題をノートに写す事に意味はあるか?
謎の儀式
「めあて」や「まとめ」を黒板に書き、それをノートに書かせる事を強要(指導)する人がいる。それだけでどれだけの時間が使われているのか。年間に計算してみる癖を付けるといい。
黒板に「めあて」を書く→30秒
教師が読み上げ、子供に唱和させる→20秒
子供がノートに写す→40秒
少なくとも1分30秒(90秒)程度はかかる。これをたとえば算数の年間授業時数(175時間)行ったとしよう。
90(秒)×175=15750(秒)
→÷60(秒)=262分30秒
→÷(60分)=4時間22分30秒となる。
これだけの時間をかけて行う意味がある授業行為なのか?さらに「まとめ」で同じ事をやったとしたら、「めあてとまとめ」だけでおよそ「10時間」費やす事になる。
算数の場合、めあてを書かせた後、教科書を開かせ、そこに書いてある「例題」や「文章題」を読み上げる。子どもたちが教科書を開いていなくても、教師はお構いなしに読み上げていく。学力低位の子は,この時点で置いてけぼりにされている。(※なぜ、ここに時間を割かない?そばに行って圧をかけてやるだけで教科書を開くのに…。)
そして謎の儀式。
黒板に向かい、子どもたちに背を向け、例題を黒板に写し始めた!
(一体、何の時間なんだ?書写か?)
それでもお利口な子どもたちは、黙ってノートに写していく。学力低位の置いてけぼりされている子達は、一向に教科書もノートも開かず、ぼーっとしている。このあたりで、教師が気付いて「○○ちゃん、写すんですよ!」と指導が入る。
(そうか、やはり写すのが大事なんだ。書写の時間だったんだ…)
「めあて」を写したり唱和したりしていた活動は、どうでもよかったようだ。よほど大事な学習活動なら、やらせないと授業について来れなくなる。でもそんなことをさせている場面、一度も見た事がない。
要するに「めあて」や「文章題」を書くことは、どうでもいい儀式だということなのだ。
算数は「式+計算+答え」でOK
伴氏の話は明快だ。算数は「式+計算+答え」(←※「三点セット」という言い方。子どもたちにも「文章題は三点セットを書くんですよ」と指導する。)ができればいい。
これに問題場面が分かるように「図(○や△)」や「表やグラフ」や「イラスト・絵」などを書くことが入る場合もあるが、通常は式と計算と答えができればいい。
教科書に書いてある事は読めばいい。以上終了で、あとは式を立てさせるのが本来の算数の授業である。
しかし学校の指導計画で、「書写」の時間として算数教科書の文章題を写す、という活動を位置づけるのであれば構わない、と言う(笑)。
儀式を取るか実質を取るか
「めあて+まとめ+例題写し」の儀式三点セットをしないだけで、おそらく年間15〜20時間程度を練習問題を解く時間に充てる事ができる。
みなさんは、どちらを選択しますか?
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