相対評価は昭和の亡霊
昭和の亡霊
昭和四十六年二月二十七日付け文初初第一五〇号
「小学校児童指導要録および中学校生徒指導要録の改訂について(通知)」
「あらかじめ各段階ごとに一定の比率を定めて、児童をそれに機械的に割り振ることのないよう留意する」
この通知が出てから50年以上経つ令和の御代に「先生のクラスだけAがこんなに多くては困ります。もう少し減らして下さい。」といった会話が出てくる。いまだに「昭和の亡霊」が跋扈している。「一定の比率」で「機械的に割り振」ってはいないものの、やっていることは、この通達の趣旨に違反している。
正規分布曲線の呪縛
腕がいい教師に習えば、ペーパーテストの平均点は90点を超える。
中央値も最頻値も90点を超え、正規分布曲線が大きく偏った形になる。
腕が悪い教師に習えば、正規分布曲線に近くなる。どちらを目指すべきなのかは、言わずもがな。
正規分布の呪縛から抜け出すべきだ。
ハンディキャップを持つ子達は、平均点90点より低い得点しか取れない。それは仕方ない。
「答えを渡し、それを見て写せばOK」など、個別の評価規準で評価する「個別最適化」をしてやればいい。
写しているうちにできるようになる。
「写すのもお勉強です」
「学習進度が早い」は正義
一番いけないのは「何もさせない」で放置すること。学校でやらないのであれば家に持ち帰って提出という形を取ってもいい。普通級にいるのだから、該当学年の学習内容を決められた時間内に「履修」させる。
だらだらと引き延ばしてもいいことはない。
むしろ指導書に示されている配当時間の半分程度で「すっきり」「さっぱり」と進めていく方が、成績上位の子にも下位の子にも快適だ。「わかりきったこと」「わからないこと」を「しつこく」「まわりくどく」説明されたり、それを聞かされたりすることは、説明したり発言したりするのが苦手な子に取っては苦痛でしかない。
そこに時間を費やすのではなく、算数ならば教科書にある練習問題を授業時間内に解き、「やった」「できた」「これでいいんだ」「こうやればいいのか」ということが分かった方が、はるかに効果のある「問題解決学習」となる。
だらだらと学習進度を遅らせるのは、成績処理をする時にも大きなマイナスとなる。
締め切りに追われ、学習を早めに進めていかなければならないとなると、指導すべきことが抜け落ちることがままある。そのままテストをし、特定の問題の通過率が低いことに気付き、その時点で「あ!」っとなる事も起こる。
教科書に書き込ませれば早く進められる
進度が遅くなる原因はいくつか考えられるが、「教科書に書き込める問題は書き込ませる」だけでも相当な時間短縮が図れる。「めあて」から始まり、教科書に書いてある「学習問題」や「自分の考え」「式」「計算」「答え」「まとめ」「振り返り」まで、何でもかんでもノートに書かせることを止める。それだけで今までの半分の時間で例題の学習が終わる。
残りは教科書の練習問題を解かせる。早く書けた子は,黒板に出てきて書かせる。分からない子は、それを参考にして問題を解いていくうちにできるようになる。自転車の乗り方練習で例えるなら「補助輪」を付けて乗っているうちに、補助輪なしで乗れるようになるのと同じ考え方だ。
半分の時間で学習を終え、補充のドリルも終え、テストも指導書の配当時間内で終える。そこまでやれていれば、あとは「評定」と「評価」をする「成績処理」に移れる。これは「技術」の問題になる。
成績処理は「技術」の問題 は←こちらへ。
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