道徳授業の定石化 ぐみの木と小鳥(教出2年)小鳥は嵐の中を飛ばない!

小鳥は嵐の中を飛ばない!

教科書教材の中には、内容に疑問符が付くものがある。

有名な「大造じいさんとがん」では、ガンはおじいさんの方に乗る事になっているが、本物のガンは肩に乗せることができるような大きさではない。

「ぐみの木と小鳥」も全ての道徳教科書に載っているほど有名な資料のようだが、小鳥が激しい雨と風の中、りすさんの所までぐみの実をくわえて飛んでいく場面がある。だが、小鳥はそんなことをしない。もしするとしたなら、それは命がけの飛行になる。そんな無茶をしてまで行かなければならないとは思えない。「りすさん、またあしたね」と前の日に約束をしたから、というだけで嵐の中、命がけで飛んでいくのだとしたら、無謀としかいいようがない。道徳的にも推奨されないことを、二年生だから載せても問題ないと判断するのは、いかがなものか?

定石授業展開

①登場人物の確認→②変換点の確認→③自分との比較→④講話

登場人物は、ぐみの木 小鳥 りすさん。

「 」の話主を確定するのはそう難しくない。

「人物評価」の確定

①「誰がいい人か?」→ぐみの木 小鳥

②「誰が問題か?」→小鳥

小鳥 ぐみの木が「あらしがやんでからにしてくださいね」と言ってくれているにも関わらず、嵐の中、りすさんの所に飛んでいった。

当然これが出てくる。そこで、

③「どうすればよかったか」と問いたい。

変換点の検討

④「どこから話が変わっているか?」

小鳥がりすの家に行くところから。

⑤変わる前はどんな小鳥?→ぐみの実を食べる普通の小鳥。

⑥変わった後は?→りすのことを心配する優しい小鳥。→命がけでりすの所へ行く小鳥。

自分に返す

⑦今の自分は、優しい小鳥、命がけでりすの所へ行く小鳥、どちらの「小鳥」に近い?

⑧似たようなことを思ったり、考えたり、したりしたことがないか?

⑨教師の講話

小鳥の無謀さは取り上げなければなるまい。ちなみにあちこちで見られる指導案は、嵐の中を命がけで飛んだ無謀さについて考えさせることよりも、たどり着いた後の小鳥やりすさんの気もちを役割演技で想像させることに重きを置いているものが少なくない。なおかつ役割演技をさせて何かしら言わせてしまうとなると、嵐だろうが何だろうが、相手のことを思って行動することを前提として押し付け、言わされているのではないか?と言われても仕方ないのではなかろうか?

それでいいのか。疑問に思う。皆さんはいかに?

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