すべてに「安心・安全」を求めるからおかしくなる。

「学校は安心・安全な場所」という幻想

東日本大震災以降、「学校は安心・安全な場所」であるべき、ということが言われるようになった。

地震や風水害に対する防災訓練の見直しから始まり、気候変動による異常気象対策として教室や体育館などへのエアコンの設置が広がり、昔から言われてきた「地震、雷、火事、親父」という怖いもの3つの対策を行ってきたわけだ。

その間、「親父」に「母親」が加わって「うちの子がいじめられている!」と学校に乗り込んでくるようになり、「いじめがない=安心安全」な学校であることの保障を担任や管理職、教育委員会に求める時代になってきた。

学校は社会の縮図である。その一般的社会においても「仲間はずれ」「陰口」「暴力・暴言」を根絶することは難しい。なのに学校でそうしたことがない「安心・安全」な場所であることを保障するように求めるのはどう考えても無理がある。

原発の放射能が拡散していることを承知で、「安心・安全」と繰り返し叫んでいた官房長官の虚しい言葉を思い出してしまう。

「いじめ対応」の現実と混乱

国立教育政策研究所は、いじめへの対応策をまとめている。が、ここに書かれていることを行おうとすると、次のような動きになる。

①いじめ発見

②当該児童からの聞き取り

③学年主任、いじめ対応担当者、管理職への報告

④経緯を文書化して記録

⑤対応チームでの対応策協議

⑥保護者への経緯伝達と対応策を提示

⑦当該児童へのケアと見守り

こうして最低限3ヶ月の期間の観察と指導後、当該児童及び保護者に「いじめ」が解消していることについての確認・同意を得た上で

⑧いじめ解消

ということになる。

この①〜⑧までの行程は、初任者、ベテラン関係なく、学校で起こった「いじめ」該当案件の全てに、同じ対応が求められる。

悪いが、正直やってられない。

しかも、被害者が「嫌だ」と感じた全てが「いじめ」該当案件となる。

これじゃ、担任手当をもらっても割に合わない。

施設面などハードウェアで補える「安心・安全」は、お金で解決できる。

人的対応が前提となるソフトウェアを運用する「安全・安心」にも、きちんとお金を出してほしいものだが、現場はそうなっていない。これだけ厳しい対応を求められているにも関わらず、病気等で欠員が生じても後補充教員が配置されないという現実がある。

「担任」のなり手も不足している。こんな大変な仕事なのに、月三千円では割に合わない。しかも担任でない教員の給料を減額して帳尻合わせをしている。現場に混乱と不満が生じるのも当たり前だ。

解決策はあるか?

こうした現実があるにも関わらず、「保障せよ」と言われるのなら、どうするか?ハードウェア、ソフトウェア両面から考えてみる。

①カメラの設置(ハード)

校舎内に監視カメラを設置し、廊下や校庭にも監視員を配置。いじめが発生しづらい環境整備をする。

法律を教える(ソフト)

「いじめは犯罪」である。暴力や暴言に対しては法的処罰があり、保護者にペナルティーが科される事を教える。

その上で、学校では、協調的で親和性を高める教育課程を編成し、実施していく。

③副担任の導入(ハード)

教員が子どもたちと関わる時間を増やすことで、いじめの芽は大幅に摘み取ることができる。

休み時間、子どもたちと一緒に遊んでいる教員は、子どもたちとの関係は良好であることが多い。授業中に見えなかった子どもたちの言動が見えてくることが大きい。教員の目があるため、強引な理不尽な遊び方や言動をしてきたジャイアン的な子は、そうしたことが自然とできなくなる。これは決して悪いことではない。休み時間の度に、正しい遊び方、望ましい人間関係をジャイアンくんは学ぶことになるからだ。

いつもジャイアンくんを視野に入れている必要もない。大人しく、ひとりぼっちで教室にいる子を教卓近くに呼び寄せ、「今、何してるの?」と声をかけてやるだけでいい。「ちょっと手伝ってくれる?」と周りにいる子たちと一緒に声をかけ、荷物運びをさせてもいい。先生が声をかけてくれるだけで、一人で大人しくしている子の疎外感を和らげることができる。

こうしたことは、担任にゆとりがないとできない。担任にゆとりをもってもらうには、「副担任」のようなポジションの教員を全クラスに配置するだけで、休み時間のトラブルは激減するはずだ。

④給与倍増(ハード)

教員数が増やせないなら給与を大幅に増やす。2倍くらいでちょうど良い。それだけ出せば、かなり優秀な人材を確保できるだろう。だが2倍にしても現状はあまりにも割が合わなさすぎて、新美南吉の書いた「ごんぎつね」の一節、

「おれがくりや松たけを持っていってやるのに、そのおれにはお礼をいわないで、神様にお礼を言うんじゃあ、おれは引き合わないなあ。」 

を思い出し、次のように言いたくなる。

「子どもたちに力をつけようと授業準備をし、休み時間に声をかけ、休みの日も教材研究にいそしんでいるのに、お礼の一つも言わないで、校長や教育委員会に文句ばっかり言うんじゃあ、引き合わないな。」

教育に金をかけないでどうするのか?

日本の教師は健気だ。割に合わなくてもごんのように健気に仕事を続けている。

最後がハッピーエンドになることを願わざるを得ない。