道徳授業の定石化 自分と比べる道徳 「道徳」と「コンプライアンス」
「道徳」と「コンプライアンス」
「道徳」をカタカナで表すとすれば、「ルール、マナー、エチケット」と言った言葉を思い浮かべる。
「コンプライアンス」という言葉も、令和になった辺りからよく聞かれるようになった。
コンプライアンスとは、「企業や個人が法令や社会的ルールを守ること、またはその遵守」を指す。
誰かに何かを言い、相手に「ふり返り、反省」させたい時、この言葉は使い勝手の良い言葉なのかも知れない。
「でも、そういうあなたはどうなの?」
と、「コンプラ返し」を食らってしまう事もある。使い方には要注意だ。
道徳授業も同じことが言える。
最後に「ふり返り」をさせるが、大人はできているのか?
「先生できてないじゃん!」
と言われてしまったら、たまったもんじゃない。
「きまりじゃないか」(東書3年)の授業プラン
「やくそくときまり」を扱う道徳教材に「きまりじゃないか」(東書3年)がある。
(あらすじ)雨が降る中休み。裕一に大助が「雨がやんだら、いっしょにドッジボールをしないか」と声を掛ける。昼休み、「外遊びはだめ」を示すあそびボードを無視して校庭に出ようとする大助と仲間。「だめだよ。まだ、あそびボードが赤じゃないか。」と声を掛けたが、大助の仲間の勝が「ほかの組の子だって、あんなに出てきているよ。」と言うが、「でも、きまりじゃないか。」と小さな声で勝に言う。その時、校庭で遊べないことを伝える放送が入る。裕一は「ほうか後は、きっとあそべるよ。」と大きな声で言った。
定石①登場人物の確認
→セリフに番号を付け、話主を確定。
定石②「ベスト、ワーストを問う」
発問A「一番ダメなのは誰か。」
発問B「一番大事な言葉はどれか。」
定石③今の自分と比べる。未来の自分を思い描く。
発問C「裕一のように『きまりじゃないか』と言えるか。」
→これが言えたら楽だが、そう簡単なことではない。
発問D「今の自分は、誰に近いか。」
→挙手させる。
発問E「これからの自分は、どうなりたいか。」
→裕一のようになれるのか?なれないのか、なりたくないのか。そう思うのはなぜか?
発問F「似たような経験はないか。聞いたことはないか。」
定石④「わ・き・お」で振り返る。
※「わ・き・お」=「思ったこと・気が付いたこと・分かったこと」の頭文字三つを合わせた造語。
定石通りに授業を進めていけば、20〜30分はかかる。
教科書の余白に書き込んだ「わきお」を「ロイロノート」のようなアプリを使って提出させ、テレビ画面に映し出しながら紹介をするのもふり返りになる。
もちろん教師が自分の体験談(講話)を語って終わりにするのもいい。
ただし「これからは、学校のきまりを守って生活していきましょう。」と、「ルールや価値観の押しつけ」とならないように留意する必要がある。
「道徳的価値の自覚及び自己の生き方についての考えを深め,道徳的実践力を育成するもの」
と書かれている。
道徳やコンプラを押し付けたり強制されたりしたように感じさせてしまっては元も子もない。
やれる範囲で行えば十分だ。
道徳授業の定石化についてはこちら
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません