騒がしいなら「黙して待つな!」「授業を進めよ!」
「静かになるまで待つ」は初心者レベルの技術
始業式からわずか数日で初任者の教室は騒がしくなる。
たとえば朝の会。日直が号令をかけるまでの時間が長い。
出席確認も遅い。出席順に呼名し、体調を言わせる。これを毎日やっている。
手紙やプリントを配布し終えるまでに10分以上かかる。
1時間目開始までの数分間でトイレや水分補給を済ますよう促し、一息ついていると、
「先生、次は何するんですか?」
「体育がいい!」
「ドッジボールがいい!」
子どもたちが近寄り、話しかけてくる。
どう対応すればいいか分からず、愛想笑いをしていると、やんちゃな子たちが教室内を走り回り、騒がしくなる。
通りかかった教師がその様子を見かねて教室に入り、
「席に着きなさい!」
と一喝。子どもたちはすぐに静かになった。
その後、「自己紹介カード」を書かせ、1時間目は何とか終了。しかし次の時間、また騒がしくなる。
(どうして私の言うことを聞いてくれないのだろう?)
「静かになるまで待つ」は本当に有効か
放課後、学年の先生に相談すると、
「黙って前に立ち、子どもを見渡して待っていれば、少しずつ静かになるよ。」
「それを繰り返すことが大事。時間がもったいないと思うかもしれないけどね。」
翌日、その通りにやってみた。
1回目は少し効果があった。しかし、2回目以降、効き目が薄れ、3回目はまったく静かにならなかった。
(どうしよう……どうして静かにならないんだろう?)
モデルを示して褒める=自己有用感を高める極意
数日後、初任者指導教員が教室に来た。
放課後に相談すると、次のように助言された。
「教科書やノートを出して静かに待っている子を見つけて、少し張りのある声で褒めなさい。」
「『○○さん、教科書もノートも筆箱も出しているね。えらい!』と、周りに聞こえるようにね。」
「すると、それを真似する子が出てくる。そうしたら、すぐにまた褒める。」
「つまり、“こうすればいい”というお手本(モデリング)を示し、”自分はできる”という自己有用感を高めることが大事なんだ。」
また次の言葉を教えてもらった。
「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」
海軍大将・山本五十六元帥のこの言葉は、ティーチングとコーチングの極意とも言われているという。
具体的な手立てとその理由を教えてもらい、指導教員の授業で子どもたちが集中していた理由が分かった気がした。
(なるほど。褒めて育てるって、そういうことだったのか!)
「隙」が騒がしさを生む
指導教員は、さらに重要な指摘をした。
それは、自分の授業が「隙だらけ」であるということだった。
- 連絡後、すぐに授業を始めていない
- 黒板を見て話し、子どもを見ていない
- 「あ〜」「え〜」など無駄な言葉が多い
- 話が長い
- 声が弱い
- 笑顔がない
- 授業準備ができていない
まさに「ないないづくし」だった。
担任としてクラスを率いるための基本が、圧倒的に不足していたのである。
授業を止めるな!
朝の会で連絡を済ませたら、すぐ授業に入ればよい。
しかし実際には、連絡帳を書かない子や、手紙をしまわない子の世話に時間を取られていた。その結果、教室が騒がしくなっていたのだ。
こうした子はどのクラスにもいる。
ならば、
- 隣同士で確認させる
- できない分は周りに手伝わせる
- 必要なら教師が一時的に預かる
といった方法で、短時間で処理すればよい。
個別対応は「すきま時間」に行う。授業時間を削ってはいけない。
「自力で」「全部」できなくていい
「自分のことは自分でやるよう育てることが大事」という考えは正しい。
しかし、そのために時間をかけすぎてはいけない。
「やらない」子に何度も声をかけても、すぐに変わることはない。言われてもやらないこと習慣になっているからだ。
「やれない」子も同じだ。手順ややり方が分からないため、失敗しないか不安でやれないという事も考えられる。
だからこそ、
- 周りの子に任せる
- 教師が代替する
といった判断も必要になる。
注意したくなったら、まずは「どうしたの?」と優しく声をかけてやればいい。
忘れ物をしたら、「そういう時もあるよね。」と笑顔で貸してやればいい。
立ち往生していたら、「こうやるんだよ。」と少し手伝ってやればいい。
子どもから好かれる教師でありたい。とは言え、媚びる必要はない。
困っていたらちょっと声をかけ、手助けしてやればいいだけなのに、するのは注意ばかり。
手順を確かめ、目の前でやって見せたり、手伝ったりしないのはなぜだろう。
嫌われていいことなど何もないのに…。
最優先は「授業」
教師の最も重要な仕事は、「授業をすること」である。
しかも、
- 計画通りに進める
- 余裕をもつために、少しずつ前倒しで進める
ことが求められる。
そのためには、手間暇が必要となる「手作りプリント」中心の授業ではなく、学習指導要領に基づいた「教科書を活用」して進めていく授業をしていくと、子どもが欠席したときに保護者は教科書を見て教えることもできるので安心する。
とはいえ、教科書通りに授業ができるようになるためには技術(教材研究)が必要だ。
例えば教科書には「手本」がある。それを見つけ出し(モデリング)、まねをして解かせ(練習)、できたら褒める(評価)という手順で授業を行っていく。
「できなかったことができるようになる経験」を授業時間の中で積ませ、テストで満点を取れるようにして帰すのが教師の仕事である。
(余談)時々、授業中に教科書に載っている練習問題をほぼ扱わず、残りをすべて宿題にし、学校で宿題の答え合わせをして済ませている教師がいる。だがそれは本来、教師が学校の授業時間内に責任をもって取り組ませなければいけない。それを「宿題」という名前で放課後の家庭に押し付けているわけだ。保護者は、「うちの子、家で何もしないので、宿題を出してください」と言ってくることもある。「そのために学校では練習問題を全部やらずに宿題にしている」という教師もいる。が、それは「学校の授業時間内」で「できるようにして帰す」という責任を、家庭の責任にしていいですよ、と言っているのと同じ。保護者もそうなっていると思っていないのだろう。だが、学校でやるべき事を宿題にし、学校で答え合わせをすると、家でできなかった問題ができるようになるとは思えない。
騒がしさは「隙」の結果
騒がしさの原因は、子どもではない。教師の「隙」である。
「黙って待つ。無言で威圧する」という方法は初歩的な技術にすぎない。
特に高学年では、すぐに反発を招く。
大切なのは、
「できている子を見つけ、褒めることで自尊心を高め、できていない子たちへ波及させていくこと」
低学年なら、
「えらい!教科書出してるね。」
と声に出してやれば良い。すぐにまねをする子が出てくる。
ところがやんちゃくん。同じようにすぐに教科書を出せばいいと分かっていてもやらない。これが「アドバルーン」と言われる行動で、(この先生、どう出るんだ?)と様子を伺ってくる。
初任者はここで間違う。アドバルーンを降ろさせようとする。つまり声をかけてしまう。
違う。アドバルーンを上げたやんちゃくんの行動を構うのは悪手。
教師の目には、やんちゃくんの動き以外、目に入っていない。これが「隙」だらけの状態。
正しい対応は次のようにする。
教科書を出していないやんちゃくんを視界に入れながら、
「教科書。両手。持つ。」(※教師がお手本を示す)
「全員起立。」
「まねします。「わかば」」(わかば)
このように、全体の動きを見て授業を進めていけば隙が生じない。
「あの先生は、静かになるまで授業をしない。」
「だったら静かにならなければ、きらいな授業はしなくていい。」
このような誤学習をさせてはいけない。
学び続ける教師になる
教師の「手作りプリント」中心で進めていく授業は、一見うまくいくように見える。
しかし、幾重にも記述チェックがされて発行された検定教科書には敵わない。
- ミスによる混乱
- 子どもの集中力低下
- 教師への信頼低下(ミスの発見、訂正)
といった問題を引き起こすことも多い。
それよりも、教科書を活用し、「わかる・できる授業」を組み立てる力を身につける方が、多くの先行実践や文献に当たりやすく、効率的に教材研究を深め、力量を高めていきやすいだろう。
そのためには、
- 書籍や動画で学ぶ
- 授業を記録して振り返る
- 研究会やサークルに参加する
といった環境に身を置いてみることが有効だ。
そうした努力をするならば、「教室が騒がしくて困る」という状況から抜け出すのに時間はかからないだろう。






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