所見は夏休み明けてからで楽勝!
所見を書きに学校へ
夏休み入ってすぐの7月末。所用で呼び出され、学校に出向いた。
若手がいたので
「何しに来たの?」
「所見を…」
という会話になった。
「5人位書いた」
そこから筆が進まないという。
当たり前だ。書けるわけがない。
子どもの目の前で書く
「休みに入る前にね、作文用紙を配ってね…」
「国語か算数。どっちか選んで、
『これはがんばったなぁ。』
『上手になったなあ』
『漢字をがんばった』
『満点取れるようになった』とか」
「そういうことを思い出して書け、って言うんだよ。」
「長く、詳しく、がんばったことが先生にわかるように書けば、先生はそれを見て書くから、成績が上がるかもしれない。」
(え?)
一瞬そういう顔をした後、
「なるほど…そうかぁ…そうなんだあ…もっと早く知りたかった…」
「だいじょうぶ。夏休み明けてからやっても、全然楽勝。間にあうから(笑)」
夏休み明けたら、これまでの学習の振り返り作文を書かせる時間を早いうちに作ろう。
書かせてしまえば「所見は迷うことなく書ける」はずだ。
子どもが自分でがんばったと思うことを親向けに加工して書いてやるわけだから、子どもが書いたことを少し詳しく書いてやれば、本人は納得するし、親も文句は言わない。
だが、実は所見を書く前にやらなければいけない大切なことがある。
「単元末や学期末テストを終わらせておく」こと。
これをやってから書くのが本筋なのだが、そうならないのが厳しい現実…苦笑。
有益な情報が入ってくるルートを作れ
前出の先生は、ちょっと聞いて分かった=かなり勘がいい。
もしかするとあとはなんとかできるかも知れない。
だが、ヨッシーが彼に声をかけてなかったらどうなっていたんだ?
もしかすると鬱々とした夏休みの日々を送り、
(授業開始の日が1日でも遅くなればいいのに…)
と思っていたかも知れない。
この先生は、
「すぐに役立つ教育情報=教育技術」
「知ったら一生使える価値ある技術」
を入手していなかったし、そのための努力をしてこなかったのだろう。
もしかすると、こうした教育技術を持っている教師は急速に減っているのかも知れない。
大きな書店の教育書コーナーに行ってみると分かる。
並んでいる本と言えば、どこかの附属小学校の先生が書いた、文字数がやたらと多い「実践自慢」本ばかりだからだ。
パラパラとめくってみれば分かる。饒舌で長い文章。読む気が起こらない。
こんな本を読む位なら、「文字囲み」だけ読んでいけば何を主張しているのかが分かった教育書シリーズの方がはるかに分かりやすいし,今でも十分実用に耐える。
自分の取って役立つ本なのか?
役立つ情報を提供してくれているのか。
見分けるコツはお任せするが、大事なのは自分の感性だ。
「自分が読んで分からない書き方をしている本は、他人にも伝わらない本」
若いうちはお金がないだろうから、大きな書店に入り、片っ端から立ち読みするといい。
気が利く大型書店なら、座って読めるような椅子も用意されている。
夏休みは「1日一冊」を最低ラインとして情報をインプットされてはどうだろう。
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